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沖島(おきのしま)は、日本海軍の海防艦。艦名は対馬海峡の沖、玄界灘に浮かぶ沖ノ島から命名と推測される〔『聯合艦隊軍艦銘銘伝』p523-524。当時の捕獲艦の艦名はそれにちなんだ地名が付けられた。沖ノ島の名は全国にあるが日本海海戦の戦場となった場所にある島名を取ったと推測している。〕。 ちなみに艦名は初代であり、2代目は敷設艦「沖島」である。 海防艦「見島」は同型艦。 == 概要 == 元は1896年(明治29年)にロシアのセント・ピータースブルグ造船廠〔『日本海軍史 第7巻』p392による。ここでは英語に基づく表記だが、通常の表記では「サンクトペテルブルク」である。〕で進水したロシア海軍のアドミラル・ウシャコフ級海防戦艦「ゲネラル・アドミラル・アプラクシン(General Admiral Apraksin)」。日本海海戦により1905年(明治38年)5月28日に降伏し6月6日に艦籍に編入、二等海防艦「沖島」となった。 主砲は艦前方に45口径25.4cm連装砲塔を1基、艦後方に45口径25.4cm単装砲塔を1基の計3門。 第一次世界大戦では第2艦隊第2戦隊に所属し青島方面で作戦に従事する。 1922年(大正11年)に除籍、1924年(大正13年)に廃艦となり、翌年に日本海海戦戦跡保存会に払い下げられた。福岡県津屋崎町海岸に係留され記念館として保存する予定であったが、荒天時に座礁破壊された。その後1939年(昭和14年)に現地で解体された〔『聯合艦隊軍艦銘銘伝』p524、『日本海軍史 第7巻』p392。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「沖島 (海防艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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